大判例

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東京高等裁判所 昭和46年(う)232号 判決

被告人 柴田博司

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審における未決勾留日数中二四〇日を右懲役刑に算入する。

原審ならびに当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

(控訴の趣意)

弁護人本木国蔵提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

(当裁判所の判断)

控訴趣意一、および二、について

所論は、原判決は、本件を殺意に基づく犯行と認定し、刑法一九九条を適用したが、右は明らかに事実を誤認した違法があるとし、本件は、被告人が、相手方の大関邦博から手拳で顔面をしたたか殴打されてしりもちをついたとき、大関がナイフを持つていたのでこれを奪い取つて腰のあたりに持つていたところ、たまたま同人が、被告人の体の上にのめりこんできたので、その拍子にはからずも同人の胸にナイフが突き刺さる結果となつたものであるから、その際、被告人には殺人の故意はもち論、暴行の故意もなかつたのである、と主張する。

おもうに、本件においては、原判示のような経緯によつて被告人とその同僚である大関邦博との間に志村利夫を大関のもとにつれてくるかこないかという件をめぐつて酔余のもん着を生じ、大関から強く責めたてられた被告人が窮余のあげく、「おれの友達(志村のこと)をつれて来ることはできない。裏切れないからおれで話がつくならおれが指をつめる。」と言つて、それまで自分がすわつていた大関の左隣りの席から立ち上り、その向い側にあたる板の間においてあつた折り畳み式の碁盤を取り上げ、こんどは大関の右隣りに座を占めようとしてその碁盤をこたつの上にのせかけたところ、突然原判示の登山用ナイフを左手にしたまま立ち上つた大関の右手拳で左顔面を殴打されたこと、その直後、大関が持つていたその登山用のナイフが被告人の手に移り、これが大関の左胸部に突き刺さつて、同人が、ほとんど即死の状態で死亡したことについては、証拠上も明らかであるばかりでなく、被告人自身も、あえてこれを争おうとはしていないものと思れる。

そこで、まず、右ナイフを被告人が意識的に突き刺したのであるか、あるいは所論のいうように、そのナイフが、被告人の無意識のうちにいわば大関とのもつれ合いのさいにおけるもののはずみで突き刺さつてしまつたものであることを疑うに足りる合理的な理由を見出しうるか、との点を検討しなければならない。

ところで、捜査官に対する供述は別として、原審公判廷における被告人のこの点についての一連の供述は、必ずしも首尾一貫したものとはいえないように思われる。すなわち、被告人は、原審第一回公判廷の冒頭では、「あぶないからナイフをもぎ取つて逃げようと思つたので、被害者を刺した覚えはありません私が、被害者の前につんのめつたのです。」と述べているのを受けて、原審第五回公判廷では、弁護人による詳細な質問に対し、「私は指をつめてかんべんしてもらうからと言つて反対側へ渡つて碁盤を持つてこたつの上へのつけたんです。――それで、大関君に自分が碁盤を置いてふり返えろうとしたときに殴られたわけです。――それで碁盤を下へはなしちやつたんです。――まだ、そのときは大関君はナイフを右手に持つていたと思います。――殴られたときの感じというのはわからないんです。気がついたときには、ナイフを自分が持つていて、刺さつてはなれたときなんです。」ということで、自分が大関をナイフで刺したことはもとより、同人の持つていたナイフを取り上げたことさえも、全然覚えがない趣旨の供述をしている。ところが、原審第六回公判廷になると、「大関は、ナイフの刃を自分の方に向けていました。――こつちを向いていたから自分が両手で押さえたんです。――それでぎゆつとひねつたときに自分の手にナイフがもどつたわけです。――自分は、ただナイフを持つてふりかえろうとしたときに、大関君がぱつと自分の前に来ちやつたわけです。――そのとき大関君は、自分のところへあわててかかつてくるような感じになつたんです。自分は、そのときはまだ立つていなかつたんです。そのとき、自分の上に大関君がのりかかるような感じできたわけです。――大関君は、肩をつかむような形でのしかかつてきたみたいです。ナイフが刺さつたことに気がついたのは離れてからです。手ごたえは全然ありませんでした。――はなれてから大関君に「やつたな。」と言われてから、冷蔵庫の脇に立つているのを見て、胸に血がついていて、ナイフを見たら血がついていて、自分はあつと思つて、入口の方に逃げたわけです。」と答え、なお、大関が柄をにぎり刃を親指の方にして持つていたその登山用ナイフを、被告人が、右手を上に、左手を下にして相手の手をにぎり、右手は甲を上にして親指が内側になるようにして、左手は手の甲を下にして親指が外側になるように持つて大関からナイフを取つたら、すぐ取れたと思う旨をふえんするなどして、この段階になつてはじめて大関の手からナイフを取り上げた状況を口にするようになり、さらに、原審第九回公判廷では、「大関は、ナイフを左手に持つてその上に右手をかぶせて、それを両手に持つようにして、自分の方へかかつてくるような――大関君のにぎつている手を自分が、右手で上から押さえ、左手で下からかかえるようにして、こつちへぐいと引つぱつたら取れたように思います。」「自分がうしろへ尻をついた時に、大関君が向かつてきたような気配があつたのです。で自分が起き上がろうとしたときに、大関君が来たからナイフをもぎ取つたのです。――自分はナイフをもぎ取つて、そのままで立ち上がろうかなというようにもう腰がついているときですから、大関君は乗つかかつて、で大関君が「あつやつたな。」と言つただけなんです。」と述べているのであつて、当審の公判廷においても、被告人は、これ以上に詳細な供述をするにはいたつていない。もとより、被告人の公判廷における供述は、それ自体として、あくまでもこれを尊重しなければならないし、また、その一連の供述の間にたとえ首尾一貫しないものがあるからといつて、ただそれだけでたやすく、それらの供述のうちに存する合理的なものまでも捨て去つてしかるべきいわれはない。現に、前述の碁盤の件についても、本件当時その碁盤がこたつの上にのつていたことは、実況見分調書それ自体によつてきわめて容易に看取され、しかも、それが周囲の状況と一見いかにもそぐわない感じを抱かせるにもかかわらず、捜査の段階においてはなんらこの点にふれることなくして経過し、原審の審理によつてはじめてその碁盤の持ち出された経緯が明らかにされ、また、これが解明されることによつて本件事案全体の推移の跡もいつそう明確にされ得たのである。しかし、それはそれにしても、さきに掲げた争点にまつわる被告人の供述は、他の関係証拠とも対比してできる限り慎重に検討をかさねたにもかかわらず、遺憾ながら納得し難いふしぶしのあることをいなむわけにはいかない。すなわち、まず大関の手にしていた登山用ナイフを被告人が取りあげたときの状況である。この点についての被告人の供述は、さきにも詳細に引用しておいたが、被告人のいうようにその際大関が、左手にナイフの柄をにぎり、しかもその上にさらに右手をかぶせていわば両手でにぎりしめているような格好をしていたとすれば、たとえ、被告人が自分の右手で上から押さえ、左手で下からかかえるようにしてこちらにぐいと引つぱつたり、あるいはぐいとひねつたからといつて、そのナイフがなにかのはずみで畳の上に落ちたというのならば格別、それが被告人の手を傷つけることもなくして簡単にその手中に奪い取られる、というようなことは、常識上到底考えられないばかりか、単に「あぶないからもぎ取つて逃げようと思つた。」のならば、大関から取り上げたそのナイフをいち早くなるべく離れた部屋の隅へなりほうり投げるか、又はそうするだけの余裕もなければ、すぐ近くに寝ている樫村弘己に救いを求めるのが当然であると思われるのに、そのいずれの措置をもとらないで、かえつて、瞬時の間にそのナイフの刃先が相手の方に向き、しかも、その刃が下側になるような持ちかたをして、これを自分のからだの前面にすえるなどということも、いちじるしく納得に困難な行動である、といわざるを得ない。その際、被告人が、とつさにそのナイフを手にしている以上は、それがたまたまこたつの上に置いてあつた、というのならば格別、そうでなければ、大関が左手に軽く持つていたのを被告人が、すばやくもぎ取つたものと解するほかはないように思われる。また、被告人は、大関が自分の上にのしかかつて来たためにそのはずみで自分が手にしていた登山用ナイフが同人の左胸部に突き刺さつた、という旨のことを述べ、当審における検証の際にもそれを裏付けるための状況の再現を行なつている。しかし、鑑定人青木利彦作成の鑑定書によつても明らかなとおり、大関に与えた胸部の創傷は、その上角が左乳頭から六・七センチメートル内下方の位置、その下角が左乳頭から六・七センチ内下方の位置にあつて、その前胸部左側から後上方に向かつて作用し、肋骨、肋関節、心嚢を切さいし、心臓の前壁中隔を刺通して心臓の後壁に達する直線斜走の刺切創であつて、このような刺入口の位置やその創洞の方向などから考えると、いかに大関が被告人の身辺間じかに覆いかぶさつて来たからといつて、被告人が、本件ナイフをただ漫然と自己の身体の前方に向けて持つているだけでは到底生じ得ないものであり、そのナイフを右手に強くにぎり、大関の左前方から斜め上方に向かつて突き上げるようにして刺入することによつてはじめて可能である、と考えざるを得ないのである。しかも、このように相手の体内の深部にまで達したナイフを引き抜くためには相当の力を要するであろうことをも考え合わせると、このナイフが大関の左胸部に突き刺さつたことを全く気付かず、また、なんの手ごたえをも感じなかつた、という被告人の供述は、すでにこれらの点において採用し難いばかりでなく、被告人が、真実過まつて大関を刺したのであれば、被告人は、なにをおいても当の大関本人あるいはその場にいた樫村に対し、その事情を説明して、ともかくも一応の諒解を求めそうなものであるが、被告人は、そのようなことを少しも口を出すことなく、驚きあわてる樫村に向かつて、ただ、「とつさだからしようがない。」とか、「とつさにできた。」というようなことを洩しているだけであるが、このことばは、被告人が自己の思わざる過ちをわびるというよりも、むしろ、大関のあまりにも執拗な言動に憤激のあまり、いわゆるかつとなつて、とつさの間に同人を刺し、取り返えしのつかないことをしてしまつた、との心情が、おのずから口をついて出たものと解するのが、その場の成行きからみて、いつそう合理的である、と思われるし、なお、被告人が、その後逮捕に来た警察官に対しても、また、犯行の取調べに当たつた捜査官に対しても、いささかもその趣旨の弁解をしている形跡が認められないことも、右の判断の妥当性を裏付けるに足るものと考える。

以上のとおり被告人の供述を吟味検討してくると、被告人が、大関に対し本件登山用ナイフをもつて害を加える意思さえも有していなかつたのである、という所論主張の点については、到底これに賛同することができず、かえつて、被告人が、大関の無理難題に対してあくまでもしたてに出て、ついには自分の指までつめて話しをつけようとしたにもかかわらず、意外にも大関からいきなり殴打されるに及んでそのあまりの暴状に憤激し、とつさに大関が持つていたナイフをもぎ取つて同人を刺した、という限度においては、被告人の捜査官に対する供述の方が、真実に合致するものと解される。したがつて、この点については、原判決が、被告人の公判廷における供述よりもむしろ司法警察員および検察官に対する供述に合理性ありとしてこれを採証したのは相当であり、原判決には所論のいうような採証法則違反のかどはないし、また、この範囲においては、別段、事実を誤認した違法も認められない。

そこで、つぎにすすんで、被告人に殺人の故意があつた、と認められるかどうかという点について考察する。この点について、原判決は、被告人の検察官に対する供述調書中における被告人の、「登山ナイフをもぎ取り、こんな奴は死んでいいんだと思いながらそのナイフで大関の胸の辺りを一回突きました。」との供述記載と、被告人が、原判示のような経過の末被害者から本件登山用ナイフを奪い、人体の枢要部分を一四センチメートル弱に及ぶ刃長いつぱいにとおるまで一つきに突き刺していることを総合して、被告人に殺意があつたことが明らかである、と判示している。そして、一件記録によると原審のこの見解は、それ自体として、一応これを肯けないこともないようである。しかし、なおよく考えてみると、なるほど本件登山用ナイフはかなり鋭利なものではあるが、それは、もともと被害者である大関邦博自身が手にしていたものを憤激の念に駆られた被告人が、とつさの間にこれを奪い取り、これまたいわばあつという間におりから身近かにせまつてきた大関を突き刺したのであつて、別段、被告人自身がこの兇器をその所在の場所からわざわざ選んで持ち出して来たわけのものではないし、それにまた、人体の左胸部が枢要部分であることもまことに原判決の指摘するとおりではあるが、本件のばあい、被告人が、はたして、原判決のいうように、大関の左胸部をめがけてナイフを突き刺したのであるか、あるいは大関に向かつてそのナイフを突き出した(もち論、それで突き刺すつもりではあつたが。)ところが、両者の相対的位置関係や被害者大関のその際における身の動き、さらには、それに加えて、当時同人がたまたま上半身裸体であつたことなどがあれこれ競合して、はからずも身体の枢要部分といわれる箇所にふかでを負わせるにいたつたものであるかは必ずしもにわかにこれを判別し難いものがある、と思われるばかりでなく、むしろ、原審、ならびに当審における証人樫村弘己の供述によつても十分窺うことができるように、ことここにいたるまでの間において多少の経緯があつたことは原判示のとおりであるとしても、被告人の本件犯行そのものは、まことに一瞬時のできごとであつて、このようなばあいにおける被告人の心情の動きを正確に把握するにはあくまでも慎重を期する必要がある、と思われること、それに加えて、もともと被告人と大関とは、本件当日にたまたま起こつた志村の問題を別にしては、これまで別段のいさかいなどがあつた間柄ではなく、また、本件のばあいにも、その前後の事情からみて、前記のように、大関が、登山用ナイフを擬して被告人に立ち向かつて来た事実があつたとも認められないこと、さらには本件犯行後における被告人の言動など記録上窺われるあらゆる点をし細に総合して考えると、むしろ、被告人が司法警察員に対して述べているとおり、いわゆるかつとしたあまり本件登山用ナイフのような危険な刃物で大関を刺してしまつたことはまちがいないが、同人を殺すつもりで刺したのではない、という判断をなしうるだけの合理的な理由も十分にあるものと思われる。したがつて、これらの具体的な事情があるにもかかわらず、被告人に対していつきに殺人の故意までを認めた原判決は、この点において事実を誤認したものというのほかなく、右はもとより判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免がれない。論旨は、結局、この限りにおいて理由がある。

控訴趣意三、について

所論は、本件は、官に発覚前被告人みずから罪を申告してパトカーの出動を求めたものであるから、自首減軽があつてしかるべきであるのに、これをしなかつた原判決は破棄を免がれない、と主張する。

なるほど、本件記録によると、被告人は、犯行後ただちにみずから電話でパトカーの派遣を求め、これによつてその場に急行して来た警察官に対し、自己の犯行を申告したことが認められるから、被告人の行為は、刑法にいわゆる自首に該当するものということができる。しかし、元来刑法四二条一項の自首減軽をするかいなかは当該裁判所の自由裁量にまかせられているものと解せられるのであつて、本件につき、原裁判所が、その事案の性質上たとえ、自首減軽をしなかつたからといつてそれがただちに法令の適用を誤つたことにはならないから、これをもつて原判決破棄の理由とすることはできない。論旨は理由がない。

控訴趣意四、について

所論は、原判決は、弁護人の、本件は被告人の緊急避難行為の遂行中に偶発した事故であつて不可抗力というべきものであるとの主張に対し、これを正当防衛の主張であると誤解し、正当防衛の理由で右主張を排斥した違法があると主張する。

しかしながら、前記のとおり、大関は、被告人の顔面を手拳で殴打したのち、さらに所携の登山用ナイフで被告人に危害を加えようとしたものとまでは認められないから、所論指摘の現在の危難が存在したということはできない。また、仮りに被告人において大関が右ナイフをもつて攻撃してくるものと推量したとしても、すでに同人からナイフを奪い取つた後においては、現在の危難は去つたものというべきであるから、この場合も緊急避難を論ずる余地はない。原判決が、被告人の本件犯行が正当防衛ないし過剰防衛あるいは緊急避難のいずれにも該当しないとしたのも、帰するところは、本件が被告人の緊急避難行為の遂行中に偶発した事故とは認められない旨を判示したものと解せられるのであつて、その判断が違法であるとは思われない。論旨は理由がない。

よつて、本件控訴は、被告人に殺意が認められないという点で、結局、その理由があるから、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書にのつとり当裁判所においてさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、中学校在学中に初等少年院に送致され、昭和三九年三月府中市立第二中学校を卒業した後大工見習、室内配線工事電工をして、昭和四四年九月頃からは肩書住居地にある室内配線工事業の有限会社曙電業社寮に住込み電工となり、その間に昭和四〇年九月中等少年院に送致され、昭和四三年四月窃盗罪により懲役一年(執行猶予四年間保護観察付)の裁判を受けたものであるが、昭和四四年一一月三日午後九時頃から右会社の住込み工員大関邦博、同樫村弘己と三人で、国鉄高円寺駅南口付近にあるスナツクバー「シヤレード」で飲酒して翌四日午前二時過ぎ頃被告人が運転する自動車で右会社の寮に帰宅した。

ところが、被告人は数日前に大関に対し、からかい半分に、被告人の友人志村利夫が大関が好意を寄せていたキヤバレーのホステス通称「あき」に接吻したことを大関に告げたことがあつたため、右帰途の車中でこれを怒つた大関から「志村を連れて来い、俺はどうしても志村からおとしまえをとる」旨真剣執拗に迫られ、翌一一月四日午前二時三〇分頃前示寮の二階東側自室に帰つてふとんに入ろうとしていると、隣室の同寮二階西側六畳間から大関邦博(当時二〇才)から、「ちよつとこいよ」と呼ばれ、大関の部屋に行くと同人が、こたつに足を入れた姿勢で果物の皮をむくため卓上に出してあつた登山用ナイフ(昭和四六年押第一八一号の一)を左手にもつて、りんごの皮をたたきなどしながら「ちよつとやそつとでは勘弁できない」「志村を一週間のうちにつれてこい」「どうする、連れてくるか」としきりに被告人を責めたてた。そこで被告人は困惑し、窮余「俺の友達をつれて来ることはできない、裏ぎれないから俺で話がつくなら俺が指をつめる」と言つて、たち上つて同室内の隅の板の間から碁盤を持つて来てこたつの上にのせようとしたところ、大関が立ち上つて来て、いきなり手拳で被告人の顔面を殴打したので被告人は憤激のあまりいきなり大関が持つていた右登山用ナイフを奪い取り、驚いてこれを取り返そうとして近よつてきた大関の左胸部を突き刺し、心嚢を切截し心臓の前壁、側壁、中隔を刺通して心臓後壁に達する刺創を負わせ、右胸部・心臓刺創に基づく胸腔内出血により同人を即死するにいたらしめたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二〇五条一項に該当するので、被告人が本件犯行にいたるまでの経緯とくに被害者大関邦博のその間における言動を十分考慮し、かつ、本件犯行後における被告人の行動なども洩れなくしん酌するとともに、被告人が、本件とはまつたく異質な罪によつて執行猶予付きの刑に処せられ、今後なお当分の間その猶予期間が継続する事態にあることもこれを念頭におく一方、いかに大関の言動に憤慨したとはいえ、たまたま同人が手にしていた登山用ナイフを奪い取るなりそれをもつて同人の身体目がけて突き刺し、その結果同人の貴重な生命を一瞬のうちに失わしめるにいたつた犯情の軽からざるものあることをも勘案のうえ、右所定刑期範囲内で被告人を懲役三年に処し、原審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条、原審、ならびに当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文を各適用し、主文のとおり判決する。

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